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澤穂希×岩渕真奈が振り返るカナダW杯 「アメリカ戦はあと1点、4−3にできていればいけたんじゃないかと」
カナダ女子W杯では厳しい戦いを粘り強く勝ち進み、日本中に再び大いなる熱狂と感動を届けてくれた、なでしこジャパン。
その激闘は澤穂希と岩渕真奈、このふたりの瞳にどう映っていたのだろう。そして、22年という長きにわたってなでしこをリードしてきた偉大なリーダーが未来のエースに伝えたいこととは―。
■大会中、ベンチでは常に隣同士でした
―まず、おふたりは互いにとってどんな存在ですか?
岩渕 お姉ちゃんって言っていいんだったら言いたいんですけど(笑)、プレーもそれ以外でも尊敬できる先輩です。
澤 ぶっちーは本当に人懐っこくて、チームの愛されキャラですね。
岩渕 小学生の時に初めて生で見た試合がアテネ五輪予選の北朝鮮戦(2004年4月、東京・国立競技場)で、いまだにその衝撃が大きいです。「女子サッカーといえば澤選手」という存在だったので、その後(日テレ)ベレーザで一緒にプレーできることになった時は緊張しかなかったです。
澤 緊張してなかったよ(笑)。でも人見知りはしていたよね? プレー面ではスピードもあったし、ドリブルも緩急をつけたりと、他の選手にはないものをもっていましたね。将来を背負って立つ選手が近くにいたなという印象です。
岩渕 澤さんに褒(ほ)めてもらえると嬉しいです。今回のワールドカップ前も合宿中に膝を痛めてしまったんですが、いろいろアドバイスしてくれました。アテネ予選では澤さんも膝を痛めていたので、共通する部分が多いなって。
澤 私が代表に入った年はぶっちーが生まれた年で、海外に行った年がふたりとも20歳になる2ヵ月前だったんだよね。
岩渕 あと、東京都出身!
澤 実家も近いんだよね。それに食べ物の好みも合うんです。グリーンカレーとか。今回のワールドカップではいつもベンチで隣に座っていました。
―大会初戦のスイス戦で、澤選手が男女通算最多の6大会連続出場と代表200試合出場を達成しました。
岩渕 未知の世界ですよね。自分が6大会出るとしたら38歳…。イメージできないです。
澤 去年1年間は代表を外れていたので、200試合を達成できるとは思っていなかったです。その特別な試合を勝利で飾れてよかったですね。
―大会中、澤選手から学んだことはどんなことですか?
岩渕 練習から常に全力で取り組むところですね。あとは「読み」がすごい! 紅白戦で、空いていると思ってパスを出した瞬間、澤さんが急に目の前に現れてカットされたり。
大会中は「澤さんが言っていたからこうしよう」と、神様のように信じていましたね(笑)。(準々決勝の)オーストラリア戦で「今日はぶっちーが点を取りそうだね」って言ってくれて、本当に取れたのはすごく印象に残っています。
澤 私の言うこと、当たるんですよ。オーストラリア戦はすごく暑い中で最後まで諦めずに戦って、そこで決めてくれたあの1点は大きかったな。
―迎えたアメリカとの決勝戦は、前半16分で4失点。どんなことを考えていたのでしょう?
澤 ちょっとびっくりしたよね。それまで先制点を取られたことがなかったし、そういう展開もなかったのでベンチにも動揺はありました。アメリカの気迫と、それに本当に分析されているなと感じました。
岩渕 あの16分間にアメリカ代表の強さが詰まっていました。受け入れたくなかったですけど、とにかくやるしかないという気持ちで、澤さんと「出たらこういうふうに流れを変えたいね」という話をしていました。
―追撃の2点目は澤選手が相手DFと競って生まれたゴールでしたね。
岩渕 ベンチから見ていても、何かやってくれそうな予感がしました。相手のオウンゴールになりましたが、あれは澤さんの得点でいいと思います。
澤 泥くさくても大事なところで体を張れる選手でいたいと思っていましたし、その気持ちがうまくゴールにつながったと思います。4−2になって、あと1点取れたらいけるんじゃないかと思っていました。4−3にできていればもっと面白くなっていたんですけど…。
―大会を終えて、どんな収穫がありましたか?
澤 私が代表に入った頃はアメリカに10点以上取られて負けたり、相手陣内でサッカーができないような時代でした。今大会も大量得点で勝った試合はなかったですけど、それでも前大会とオリンピックと合わせて3大会連続決勝進出というのは実力がついてきたんだと思います。
個人としては、4年前とは年齢や立場が変わった中で臨んだ大会でした。みんながいいコンディションでサッカーをやれるのは、陰でサポートしてくれている人たちのおかげでもあるんだなと実感しましたね。
岩渕 澤さん、ベンチでも出ている選手たちのために率先して氷を準備したり盛り上げたりしていて、すごいなあって思ってました。先発で出るのはサッカー選手なら誰もが目指しているところなのに…。そういう、いい先輩、いい仲間とともに勝ち進んでいく上で生まれた団結力は大きな収穫です。だけど、優勝、準優勝、準優勝ときて、これから先への重圧もあります。
結果を出し続けなければ意味がない。でも、チームがガラッと変わった時に成績を残せるかって言われたら…不安です。
澤 正直に言うね(笑)。逆に、違う道をつくれることを楽しみに思えればいいんじゃない
●澤 穂希(さわ・ほまれ)
1978年9月6日生まれ、東京都出身。身長165p、体重54s。ポジション:MF
15歳で女子日本代表入りして以来、常にその中心で22年間なでしこジャパンを牽引。国内外問わず数多くのタイトルを獲得し、日本女子サッカーの顔であり続ける。2011年ワールドカップドイツ大会ではMVPと得点王を獲得し、同年度、アジア人として初のFIFA女子最優秀選手賞を獲得。2015年女子ワールドカップカナダ大会では男女通じて世界初の6大会出場を成し遂げ、チームの準優勝を支えた。代表通算205試合出場、83得点(15年8月10日現在)
●岩渕真奈(いわぶち・まな)
1993年3月18日生まれ、東京都出身。身長155p、体重53s。ポジション:FW
14歳でなでしこリーグ初出場を果たし、代表では各年代代表に飛び級で選ばれるなど、将来を嘱望されてきた。2008年のFIFA U−17女子ワールドカップでは、チームはベスト8で敗退しながらゴールデンボール(MVP)を受賞。2013年にドイツに渡り、ホッフェンハイムの1部昇格、バイエルン・ミュンヘンのリーグ優勝などに貢献。2015年女子ワールドカップ準々決勝のオーストラリア戦では決勝ゴールを挙げる活躍を見せた。ワールドカップを終えた今、“ポスト澤”の呼び声高い次世代のエース候補。代表通算30試合出場、4得点(15年8月10日現在)
■週刊プレイボーイ34・35合併号(8月10日発売)「スペシャル対談 澤穂希×岩渕真奈」より
星 病乗り越え涙の金!女子200バタでリオ五輪切符
奇跡の金メダリストだ。12年ロンドン五輪銅メダルの星奈津美(24=ミズノ)が2分5秒56で優勝した。五輪、世界選手権を通じ、女子200メートルバタフライでの日本人の金メダルは初めて。バセドー病を克服し、昨年末から04年アテネ、08年北京五輪連続2冠の北島康介(32=日本コカ・コーラ)を育てた平井伯昌コーチ(52)に師事。完全復活し、世界選手権で日本女子初の金メダルを手にし、来年のリオデジャネイロ五輪の代表権も獲得した。
【写真】金メダルを獲得し、感極まる星奈津美
こんな瞬間が訪れるとは思わなかった。序盤から好位置につけ、残り50メートルで3位浮上。じわじわと上位陣を追い上げ得意の展開に持ち込んだ。「持ち味を生かしたレースが久しぶりにできた」。最後は体半分ほどリードして静かにタッチ。ゆっくりと掲示板を見上げ、柔らかい笑みを浮かべ「今までやってきたことを出そうと思っていた。感謝の気持ちを強く持って表現できるような泳ぎをしたかった」。奇跡の復活劇に涙が頬を伝った。
試合前、ある決意を口にした。「リオまでしか考えていないところがある。世界水泳も最後と思っている」。ここから最後の1年の競技生活。「これからもう来年に向けてスタートできる。本当にいい結果を出せるようにしなきゃいけない」。金メダリストとして臨む花道を、有終の美で飾る。
▽バセドー病 甲状腺ホルモンが過剰につくられる病気。代謝が活発になりジョギングしているような状態で脈拍が速く、汗が多く、疲れやすくなり、微熱の症状が出る。食欲が増しても体重が減ってしまう人や食べ過ぎて体重が増えてしまう人もいる。顔つきや目つきがきつくなったり目が出てくる眼球突出は代表的な症状。
◆星 奈津美(ほし・なつみ)1990年(平2)8月21日、埼玉県越谷市出身の24歳。春日部共栄高―早大。3歳から水泳を始める。五輪は08年北京10位、12年ロンドン銅メダル。世界選手権は11年4位、13年4位。験担ぎとして大会前にウナギを食べる。嵐の大野智のファン。1メートル64、55キロ。
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