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澤穂希が現役最後の試合で決勝ゴール 涙見せず
<皇后杯全日本女子選手権:INAC神戸1−0新潟>◇決勝◇27日◇等々力
MF澤穂希10+ 件(37)が現役最後の試合で決勝点を決め、INAC神戸が2大会ぶり5度目の優勝を果たした。0−0で迎えた後半33分、右CKから今季限りで引退を表明している澤がヘディングシュートを決め、先制した。この1点を守りきり、先発フル出場した澤が有終の美を飾った。
試合後、ピッチで胴上げされた澤は「みなさんの力で勝てた。素直にうれしい。(先制のCKは)川澄選手のボールが良かった。今日は得点を狙っていた。とにかく現役最後の試合で点を取れたのはうれしく思う」と、涙を見せずに話した。
サッカー女子の日本代表、「なでしこジャパン」の澤穂希選手(INAC神戸レオネッサ)が17日、引退会見を行った。澤穂希には、偉大なる記録に彩られた功績がある。
1991年7月、12歳のときに日本女子サッカーリーグの読売ベレーザ(現:日テレ・ベレーザ)にてデビュー。1993年12月に15歳で日本代表戦に初出場して4得点を挙げて以来、「なでしこジャパン」の顔として、また絶対的な中心選手として、20年以上にわたり日本の女子サッカー界を牽引してきた。
日本代表としては205試合に出場して83得点。いずれも男女を通じて歴代1位の記録であり、試合数は宮間あやの156試合と遠藤保仁の152試合、得点数は釜本邦茂の75点、三浦知良と大儀見優季の55点が続く(2015年12月16日現在)ことを鑑みると、いかにこの記録が突出しているかがわかる。
記録は国内だけに留まらない。2015年にカナダで行われたFIFA女子ワールドカップは、澤にとって、1995年のスウェーデン大会から続く6度目のワールドカップとなった。6大会連続でワールドカップに出場したのは、男女を通じて世界で澤ただひとり。この記録はギネス世界記録にも認定されている。
地鳴りのような大歓声に包まれた同大会グループリーグのスイス戦会場、BCプレース・スタジアム。「ホマレ・サワ」の選手紹介アナウンスが流れると、場内は史上初の偉業を賞賛する拍手と歓声でいっぱいになった。敵味方関係なくこうした喝采で迎え入れられるのは、澤が日本国内でだけでなく、世界の女子サッカー界で「レジェンド」として認められていることの証にほかならない。
なでしこブームのきっかけとなった2011年のワールドカップドイツ大会では、キャプテンとしてチームをまとめながら、5得点を挙げて得点王を獲得し、MVPとの2冠を達成した。翌年1月のFIFA年間表彰式では、男女を通じてアジア人初となる「FIFA最優秀選手賞」を受賞。「バロンドール(Ballon d’or)」として知られるこの賞は、サッカー選手にとって最高の栄誉であり憧れである。この年の男子の受賞選手があのリオネル・メッシ(バルセロナ)だといえば、澤が女子サッカー界でどの位置に君臨する選手か、容易に想像できるだろう。
ほかにも、4大会連続でのオリンピック出場(うち1回は銀メダル)、2度のアジア年間最優秀選手賞、長友佑都(インテル・ミラノ)や香川真司(ボルシア・ドルトムント)ら男子選手を抑えての日本年間最優秀選手賞、2度のなでしこリーグMVP、11度のなでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ時代を含む)ベストイレブンと、個人タイトルや記録には枚挙にいとまがない。
不可能を可能に変えてきた「レジェンド」
しかし、澤が「レジェンド」たる所以は、記録だけによるものではない。
4年半が経ったいまでも鮮明によみがえる、ワールドカップドイツ大会決勝アメリカ戦、延長後半終了間際のあの同点ゴール。宮間のコーナーキックから、角度のないところへ走り込んでのアウトサイドシュートは芸術的で、これ以上にないほど劇的で感動的だった。
なでしこに魅せられる観客の多くは、「最後まであきらめない」「土壇場でもなんとかしてくれる」その姿勢と決定力に心を動かされるのだと思うが、澤のプレーはまさにそれを体現しているといっても過言ではない。
2014年5月のアジアカップ以降、澤は代表から遠ざかっていた。チームは若手への世代交代を進めたい思惑もあり、また澤自身のけがの影響もあって、2015年のワールドカップカナダ大会での代表選出には暗雲が立ち込めていた。しかし澤は「必ずワールドカップに出場する」と宣言。なでしこリーグの試合を視察に訪れた佐々木則夫監督の前で最高のパフォーマンスを見せ、見事1年ぶりになでしこジャパンへの復帰を果たした。そのときの選出理由について、佐々木監督はこう語っている。
「INACで誰よりも体を張って戦っており、現在のパフォーマンスは問題ないと判断して選出した。澤のプレーは小手先でなく、90分集中して戦っている。これはなでしこ(ジャパン)の姿勢であり、ほかの選手の模範となる。彼女の背中を見て学ぶことはある。代表にきてもらって、彼女らしいパフォーマンスに期待している」
ワールドカップドイツ大会では、決勝戦の同点ゴールだけでなく、グループリーグのメキシコ戦(この試合で澤はハットトリックを決めている)での決勝ゴール、準々決勝ドイツ戦での決勝点のアシスト、準決勝スウェーデン戦での決勝ゴールと、じつに6試合中4試合で「試合を決める決定機」に絡んだ。
攻撃の中心が宮間に移ったロンドンオリンピックでは、数字に見えるような決定機に絡む機会は減ったが、パスコースと勝負どころを「読む」センスを最大限に活かし、おもに守備において決定的な仕事をすることが多くなった。
途中出場や途中交代が多くなったワールドカップカナダ大会では、澤が出場している時間帯には、チームに1本「芯」のようなものが通ることが見てとれた。決勝のアメリカ戦では前半16分までに立て続けに4失点を喫し、動揺したなでしこジャパンだったが、33分に澤が入ったことで、見違えるように落ち着きを取り戻したのを覚えている人も多いだろう。
52分にFKから澤がジョンストンと競り合い、相手のオウンゴールを誘って2点差まで詰め寄ったときは、諦めかけていた日本人の誰もが「もしかして、逆転できるのでは!?」と希望を持ち直したに違いない。
北京オリンピックで若手だった宮間にかけた「苦しいときは私の背中を見なさい」という言葉の通り、口だけではなく、ピッチで表現することで若い選手たちを引っ張ってきた澤。そして「夢は見るものではなく叶えるもの」だと常に口にしてきた澤。バロンドールの授賞式では「たくさんの子どもたちに目標や夢を持ってもらえたらいい。不可能はないということを証明できた」と語っている。
ピッチ上のプレーで若い選手を引っ張る姿を見られなくなることは残念だが、違う形で、また彼女らしいやり方で、これからも女子サッカー界を率いてくれることを願わずにはいられない。
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