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国際的に活躍できるグローバル人材の育成のために、英語教育の充実を──と、今や小学校にまで及んでいる英語教育必修化の動きだが、実は、2002年まで「英語」という中学校の教科は必修教科ではなく、必要に応じて履修すればよい選択科目だったことをご存じだろうか。
『「なんで英語やるの?」の戦後史 “国民教育”としての英語、その伝統の成立過程』(寺沢拓敬/研究社)によれば、02年の改訂学習指導要領の施行により、中学校で必修科目に格上げされるまでは英語は選択科目であり、履修は自由だったというのだ。
「(戦後初期は)『社会の要求』に普遍的に応えられるものだけが必修科目であるべきで、英語の必要性には地域などにより多様性があるので、必修科目にはふさわしくない、と規定された。また戦後初期に限って言えば、(略)すでに中1段階では多くの生徒が英語を学んでいたが、中学校時代に一切英語を学ばずに卒業する生徒も少数派ながら存在していた」(同書より)
教育の現場において、なかでも多くの公立の中学校で英語科目が取り入れられたのは1955年以降、英語を高等学校の入試科目に加える都道府県が増えたからだ。このために、高校進学と英語履修の結びつきが増し、なし崩し的に事実上の必修科目化が進んできた。
さらに、1947〜49年に誕生した“べビーブーマー”(団塊の世代)の中学入学・卒業の影響がより大きいのだという。
「べビーブーマー入学・卒業という1960年代前半に中学校が経験した人口動態的変化が、英語履修率の拡大に影響を与えた可能性が高い(略)。ベビーブーマー就学による生徒数増加への対応として英語教員を大量に採用したことが、その後、生徒数が減少した後、英語教員の人的余裕を生み出し、英語授業の新規開講を可能にしたのである。
戦後初期においては、英語の授業を開講したくても、人材不足のため満足に開講できず、したがって履修率は100%には至らなかったが、ベビーブーマー卒業後、英語教員の人的リソース面の条件が劇的に改善されると、英語授業の開講が促進され、『事実上の必修化』が現出したと考えられる」(同書より)
つまり、生徒数の増加に合わせて、大量に採用した英語教員のために、英語の必修化が進んだというわけだ。02年に「国際化の進展に対応する」(中学校学習指導要領/1998年12月解説──外国語編)として必修化されるまでは、英語は高校受験のための科目として重要視されていたにすぎない。
このため、もし「なんで英語やるの?」という学生からの素朴な質問があれば、「受験科目だから」「英語の教師がいるから」としか答えようがない状態が続いていたわけだ。
英語を学ぶ目的についても、戦前は「英文学や思想書の読解など高度な知的活動」という一部のエリート層のための教科だった英語(人格育成・教養としての英語教育)が、戦後はGHQ(主に米国)占領下において英語の必要性が高まり、また高度経済成長下で仕事上の有用性から「役に立つ」英語(スキル育成としての英語教育)が求められるようになった。加藤周一の「英語必修化反対論」(55年)、実用性と教養のどちらを重要視すべきかが論点となった「平泉渉・渡部昇一論争」(74年)など、さまざまな議論を経て、英語は基礎教育として「国民教育」化していくことになる。
しかし、「受験科目だから」「英語の教師がいるから」というレベルの現場では、受験科目としての「英文読解を中心とした受験英語」だけが優先され、結果的に英文読解では得点が取れても、国際社会で必要な英会話がまったくできないビジネスパーソンを大量に生み出してしまうことになった。
「英語の授業を受けたのに英会話ができない」という多くの日本人の悩みは、スキルでも教養でもなく、受験科目としてしか位置づけられていなかった戦後の英語教育が生み出した不幸だったのかもしれない。
(文=和田実)
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